2010年02月26日

「100かいだてのいえ」シリーズ
岩井俊雄さんにインタビューしました!

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縦に開く表紙、めくりながら100階建ての家を順番にのぼっていって・・・。
発売と同時に、あっという間に子どもたちの心をつかんでしまった絵本『100かいだてのいえ』。
作者は本格的な絵本は今作が初めての岩井俊雄さんです。
更に、下へ下へとおりていく『ちか100かいだてのいえ』まで登場!
一体、こんなアイデアはどこから生まれてきたのでしょう?岩井俊雄さんってどんな方なのでしょう?

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先日、丸善ラゾーナ川崎店さんで開催された「みんなの100かいだてのいえをつくろう!」というワークショップにお邪魔してきました。

★その様子はこちからからどうぞ!>>>

そして、ワークショップを終えたばかりの岩井俊雄さんにインタビューをさせて頂きました!
絵本「100かいだてのいえ」シリーズについて、また絵本作家としての岩井俊雄さんについて、興味深いお話を沢山伺うことができました。

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岩井俊雄(いわい としお)
1962年生まれ。メディアアーティスト。子供の頃に母親から「もうおもちゃは買いません」と言われ、かわりに工作の道具や材料を与えられたことからものづくりに目覚める。1985年、筑波大学芸術専門学群在学中に第17回現代日本美術展大賞を最年少で受賞。その後、国内外の多くの美術展に、観客が参加できるインタラクティブな作品を発表し、注目を集める。テレビ番組『ウゴウゴルーガ』、三鷹の森ジブリ美術館の映像展示『トトロぴょんぴょん』『上昇海流』や、ニンテンドーDSのアートソフト『エレクトロプランクトン』、ヤマハと共同開発した音と光を奏でる楽器『TENORI-ON』なども手がける。2007年、NHK教育の幼児番組『いないいないばぁっ!』のオープニングアニメーションを担当。現在ふたりの娘の父親として、書籍やブログを通して親子の創造的な関係を広めようと精力的に発信している。著書に『いわいさんちへようこそ!』、『いわいさんちのどっちが?絵本』シリーズ(全3冊)、『いわいさんちのリベットくん』(以上すべて紀伊國屋書店)、『100かいだてのいえ』(偕成社)がある。

様々な活動をされてきているからこそ、岩井さんの目を通して語られる「絵本」の話の内容はとても新鮮!じっくりお楽しみください。



■ 絵本『100かいだてのいえ』を描くきっかけ     

“メディアアーティスト”という肩書きで国内外で多くの作品を発表されている岩井俊雄さん。一方で、娘さんと家の中での遊びについてまとめられた本『いわいさんちへようこそ!』でも大きな話題を呼びました。そんな岩井さんが手がけられた初めての描き下ろし絵本が『100かいだてのいえ』です。

―― 絵本『100かいだてのいえ』を描かれることになった、きっかけというのを教えて頂けますか?

 まず大きなきっかけとして、『いわいさんちへようこそ!』という本があるんです。

Ehon_34646.jpg 『いわいさんちへようこそ!』 岩井俊雄著 紀伊國屋書店

 僕はメディアアーティストとして作家活動を長くやってきて、特に知られていたのはハイテクを使って映像と音楽を組み合わせた作品や、子ども番組『ウゴウゴルーガ』のCGキャラクターなどでした。この本を出した時、あの「ハイテクの岩井俊雄」が、家では子どもとこんなアナログなことをやってるんだ、という驚きもあったのか、かなり注目されて。そして、この本を見た偕成社の編集者の方から「絵本を作ってみませんか?」と連絡をいただきました。『どっちがへん?』(紀伊國屋書店)という絵本を出してはいたんですが、まだ発売直後で多分ご覧にはなってなかったと思うんですよね。


―― 岩井さんご自身は、もともと絵本には興味を持たれていたのでしょうか?

 小さい頃はもちろん絵本は大好きでした。「こどものとも」(福音館書店)をよく読んでいましたね。それから、漫画やアニメを通過して、高校に入って美術部に入ったのをきっかけに美術やデザインなどに興味を持ち始めたんです。ちょうどその頃は、安野光雅さん、福田繁雄さんといった方々が注目されていた時期。特に安野さんの絵本は『旅の絵本』、『ABCの本』 など、ビジュアル的に美しいだけでなく、すごく実験的。僕はもともと科学や機械が好きだったんですが、安野さんの数学やだまし絵などを取り入れた絵本を見て、「こんなものが絵本と結び付くなんて」とすごくショックを受けたんです。それからというもの、絵本を作品として見るようになりました。「ピーターラビット」シリーズにしても、精密な水彩画といい、本自体の完成度といい、本当にアート作品に近い。「絵本はすごい。こんな世界が表現できるなら、いつか絵本にも挑戦してみたいな」って高校の頃は思っていました。

 ただ、その後大学に進んでからは、絵本のことが頭に引っ掛かりながらも、ハイテクを使って映像やアート作品を作ることのほうが面白くなってしまったんです。それからずいぶんたって、子どもが生まれたのをきっかけに、『いわいさんちへようこそ!』に載せたようなアナログな表現に戻ってきたんですよね。


―― そして、その本をご覧になった偕成社の方に、今度は「絵本をつくりませんか」と声をかけられて・・・。

 『いわいさんちへようこそ!』を見て、「この人はもしかして絵本を描けるかも」と思ってくれたそうなのですが、それが僕としてはものすごく嬉しかったんです。メディアアーティストとしては、手描きで絵を描いて作品にするという事はまったくやっていなかったし、自分の絵にはぜんぜん自信がなかったんです。娘と遊ぶときだけ、別に他の誰にも見せるものではないし、手描きもたまにはいいかな、という程度の気持ちで描いていた。でも、そんな僕の絵に、プロとは違ったよさを見つけて声をかけてくれたので、素直に「うれしい、やってみたい」と思ったんです。僕にしてみれば、20年ぐらいお預けにしておいた絵本への思いというのが、急に蘇ってきたような感じがあったんですね。

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■ 自分らしい絵本ってなんだろう     


―― そこから具体的に絵本の制作に入っていく訳ですね。どんな風にアイデアが固まっていったのでしょう。

 『いわいさんちへようこそ!』の中で紹介した遊びやおもちゃは、作品的に作ったものじゃなくて、例えばトイレトレーニングのためにシール遊びをしたり、レストランでぐずった娘を、僕が箸袋を使っておもちゃを作ってあやしたりという、すごく現実的な生活の中で生まれてきたものです。絵本のアイデアも、できれば同じように生活の中から自然にでてきたらいいなって思いました。

僕は、絵本そのものだけじゃなくて、作者の生き方や、絵本が生まれた経緯なんかにも昔からとても興
味を持っていたんです。例えば、『ピーターラビット』は、作者のビアトリクス・ポターが病気の男の子に宛てた手紙から生まれたという話や、レオ・レオニの『あおくんときいろちゃん』は孫との遊びが絵本になった、というエピソードなど、昔からいいなあと思っていました。あとトールキンの『サンタ・クロースからの手紙』という本が、高校生の頃大好きで。いつか自分が親になったら、ああいうお父さんになりたいと思っていましたね。

 そういうこともあって、僕も子どもとの付き合いの中から自然に絵本のテーマが生まれないかな、と漠然と思っていました。その頃、ちょうど娘が小学校1年生になって、数字の繰り上がりで苦労しはじめたんです。それを見て、「これは絵本になるかもしれない!」と。


     
―― 『100かいだてのいえ』のアイデアのベースは「子どもに算数を教える」というやり取りからだったんですね。

100kai_2.jpg  『100かいだてのいえ』 岩井俊雄・作 偕成社

 そうなんです。昔、安野光雅さんのアルファべットや数字をテーマにした絵本に興味があったこともあって、自分なりの数字の表現を絵本でやってみたいな、と思い始めました。

 また一方で、僕はメディアアーティストとして、コンピューターでもテレビでもゲームでも、当たり前になっている表現をちょっとずらして新しくする、ということをずっと追求してきたので、絵本というお題をいただいた時にも、自分らしい何か新しい表現ができないか、という気持ちもあったんです。

 そうやって数字のことと、新しい表現のことを両方考えていく中で、建物をモチーフにした縦に開く絵本、というアイデアが生まれてきました。「数字が増えていくんだったら何で表現しようか。リンゴを並べるのか。それじゃ面白くないな。数字が増えていく感じを実感できるモチーフはないかな……そうだ、建物を登っていくのがいい。じゃあ絵本を縦に開いて高さを表現したらどうだろうか?」と、自然につながっていったんですね。

 『100かいだてのいえ』を出したら、縦に開く絵本、というのが注目されたことに加えて、ちょうど子どもが数字に興味を持っててすごく食いつきが良かったとか、子どもが100まで数えられるようになりました、とすごく喜ばれて。やはり、どこの家庭も同じなんだ、身近なところからテーマを見つけてよかったな、と実感しました。


―― 岩井さんの目を通して、「絵本」というものにどう向き合われながら制作されていったかという部分に、とても興味を持ってしまいます。

 いきなりバーンと全部のイメージが浮かんだわけじゃなくて、絵本に対して素人だったということもあったので、少しずつ手探りで面白いことを見つけながら作っていったという感じです。その時に支えになったのは、普段から子どもたちと同じ目線で遊ぶ、おもしろがる、ってことをずっとやってきたことかなと思うんですけどね。

 わが家の子どもたちとの暮らしについてブログに書いているんですが、子どものちょっとした遊びや発見の中にも物語があるなあってすごく思うんです。例えば、子どもが身近なものに何か面白さを見つけて遊びが始まり、それをさらに発展させていくうち、たまたま近くにこういう材料があったからこうなったとか、その遊びの過程をつぶさに書いていくと、本当に1つの物語みたいになってくるんですよね。それがすごく面白い。絵本になるかも、って思うようなエピソードもかなりあります。
 逆に、例えば買ってきたおもちゃを、いきなりドカンと渡すと、もうそのおもちゃで満杯になっちゃって物語は生まれない。完成形が見えないからこそ、手探りで少しずつ作り上げていく過程が、遊びでも絵本でも一番面白いですね。



■ 体験していく絵本     


―― この絵本に寄せられているレビューを読んでいて面白いなと思うのは、この絵本を例えば夜とか読み聞かせしていても、とにかく時間がかかって大変という声が多いということ。確かに、建物の絵というだけでもワクワクしてしまいます。更に1階から順番に部屋を一つ一つたどっていって。細かく見ていくところがたくさんあって・・・。

 2本の小さい指で、階段をたどってくれたりするのを想像するとね、もうたまらないですよね(笑)。

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―― たまらないですね。でも時間は当然かかるだろうなと(笑)。

 実は、読み聞かせというのはあまり想定していなかったんです。この絵本の制作がスタートした頃、僕は長女とは手作りおもちゃを熱心にやっていたので、絵本の読み聞かせをする父親じゃなかった。今は下の娘に徐々に読み聞かせするようになったんですけど。実は、僕自身読み聞かせをしてもらった記憶がほとんどないんです。僕は早くから文字が読めたらしくて、勝手に読んでたって親が言ってました。それもあって、僕の絵本のイメージは、読んでもらうものではなくて自分でめくって読むものだったんですね。

 『100かいだてのいえ』は最初、安野さんの『旅の絵本』のように、文字のない絵本にしようと思っていました。初めのプランはもっと幅の狭い細長い絵本だったんです。だけど、編集さんから「これはストーリーがあった方が良くなる」というアドバイスがあって、文章を入れることにしました。その分、本の幅も広げることになって。結果的には、ストーリーをつけて正解だったなと思っています。本の幅を広げたことで、周りの風景も見えてきたのもよかった。そういう試行錯誤がありました。


―― こんな風に読み聞かせて・・・というよりも、自分でたどっていって楽しむ様子を想像しながら作られていたんですね。

 僕自身が子どもの頃そうだったので、1人遊び的な絵本を想定していたんです。
 逆に、絵本が出版されてから、色々な方から「寝る前に読み聞かせをしています」とか、「幼稚園でも読み聞かせをしました」って聞いてびっくりしたんですよ。縦長で、絵が細かいこの絵本を、多人数の前でどうやって読み聞かせするんだろう、と。自分の中では読み聞かせのイメージがなかったので、「そうか、絵本は基本的に読み聞かせされるものなんだ」という、軽いカルチャーショックを受けると同時に、読み聞かせを考えてなくて申し訳なかったな、と思い始めました。でも、子どもたちがとても楽しんでいる、と聞いてホッとしました。絵本に関してはそれくらい素人だったんですよね。
 だから、『100かいだてのいえ』のビッグブックを作れることになった時は、「これは読み聞かせに絶対に向いたものにしよう」と思って、思い切って開き方を変えて縦長にしたんです。


―― このビッグブック、形を見ただけでもワクワクします!

Ehon_30115.gif 『ビッグブック 100かいだてのいえ』 岩井俊雄・作 偕成社



■ 絵本で好きなものを描ききる     

中を開けば、子どもたちが時間を忘れて夢中になってしまう程様々な動物達と色々な部屋が描かれているんです。具体的な部屋のイメージのアイデアについても少し伺ってみました。


―― 『100かいだてのいえ』の中に登場する様々な動物たちと、そこからイメージされた部屋の数々がとても面白くて。そういう具体的なアイデアというのは、家の中からだとか、娘さんとのやり取りの中から生まれてくるのでしょうか?


 まず最初に描いたのはネズミの階なんです。このイス、テーブル、照明などの雰囲気、実は自分の家を参考にしているんですよ。キッチンとか置いてある皿や鍋とか、まさにこんな感じ。うちの奥さんは見て苦笑してましたけど(笑)。家そのものはこんなじゃないですけどね。でも、家具とかの絵を描き始めてハッと気がついたんです。家にある家具や照明というのは、自分が気に入って買ったものばかりです。絵本で描く部屋のインテリアや家具も自分が気に入るように描くわけだから、ああ、一緒だなって思ったんです。自分で家を建てて、いろんな家具や照明などを一生懸命選んだ体験が、絵本作りにもすごく活きたんですよね。

 わが家での子どもたちとの遊びも絵本の中にかなり引用しています。キツツキが飛ぶ練習をしているターザンロープは、似たものがうちにもあるんです。地下の仕事場の天井をロープでつないで遊べるようにしてあって、子どもたちに大人気。そういう現実の遊びは、絵本の中でもリアルに楽しさが伝わる気がしますね。


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 ネズミの家からスタートしたのは、まずは人間と同じような家を描きたいと思ったからです。ネズミは人間の家に住み着くなど、どこか人間っぽいイメージがあるので。急に突飛な家から始まるよりも、人間に近い家でスタートして、徐々にそれがリス、カエル・・・とずれて変わった家が登場していく、ということを考えました。普通の部屋を、それぞれの動物に合わせたインテリアや家具に段々と置き換えていくのがすごく楽しかったですね。


―― それぞれの部屋には岩井さんの好きなものや形がたくさん描かれているんですね。

  当然ですが、やっぱり好きなもの以外は描けないですよね。嫌いなものを描く必要もないし。
例えば、好きな家具をいっぱい家に揃えたいと思っても実際にはお金の制約があるし、売っているものが100%気に入ることもなかなかないですよね。この部分や色が気に入らないとか、もうちょっと小さければいいのに、なんてこともあります。現実の家の中って、いろんな妥協によってできてる世界ですよね。
 ところが、自分が絵で描く部屋は妥協する必要がないんですよ。とにかく好きなものだけを詰め込める。これまでメディアアートでいろいろな作品や空間を作ってきましたが、常に材料だの機材だの、妥協したりあきらめたりする部分が大きかったんです。それが、絵本を描き始めてみたら、「絵本というのは、一個も妥協しなくていいんだ!」ということに気がつきました。あたりまえかもしれないんですけど、まったく違った分野でもの作りをしてきたので、「思い切り好きなものばかり描ける」というのが目からうろこでした。
 自分がその動物になりきって住みたい家を考える作業も楽しかったです。実際に我々が、こんな変わった部屋に住んだり、変な形の家具を使うのは難しいと思うんだけど、まず動物を10種類決めて、その動物になりきって僕が家をデザインするつもりで、それぞれの動物の個性から家の様子を発想していきました。


―― それでは、この作品を作った後というのは、もう、本当にすっきりされたという感じですか?

 そうですね。確かに部屋を100個考えて描くのには苦労しましたが、自分の頭の中にある「こういうものが自分は好き」というのを全部出しきる満足感をこれだけ感じたのは、絵本が初めてでした。
 また、そんな風に自分を出し切って描いた絵本を、今度は子どもがすごくリアルな体験として読んでくれるのがうれしいですね。例えば、これが額に入った1枚の絵だったら、「面白い絵だね」とは言ってくれるかもしれないけど、本当に登っていく感じを体感する様なところまではいかないですよね。それが、絵本の場合はただ絵を見るんじゃなくて、自分でページをめくる。ページをめくることで、本当に上に登って いく気分になれる。
特に僕の絵本の場合、ページめくりが単なる場面転換ではなくて、自分がその空間を進んでいくのをリアルに体感できるようにしたところが特徴だと思うんです。今までメディアアーティストとしてインタラクティブな作品を作ってきたので、それと近いことを絵本でもやりたかったんですよね。


―― 最後の、エレベーターでピューって降りて家に帰る、という場面も、すごく好きです。

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 100階まで一生懸命登ったあとは、一気に降りたら面白いな、というイメージは最初からありました。それで、エレベーターを使おうと思ったんですが、エレベーターがあるなら、どうして最初からそれを使わないのか、そこをちゃんと描かないといけないと思ったんですね。それで、一番上の階ににクモがいる、というイメージが段々出来てきたんです。

 そもそも、この『100かいだてのいえ』に登場する動物は、小動物や虫など、家や巣の中にいそうなものを選んだんです。鳥なら、木の洞の中に住んでいるキツツキとか。ライオンとかゾウとか、サバンナで走り回ってたり、大きい動物は似合わないので出しませんでした。それで、一番上を誰にするかという時に、一番上に住む動物がこの家全体を造ったことにしようと考えたんです。つまり、最後の種明かしとして「あ、このひとたちが造ってたんだ!」と驚かせつつ、それがこの家のオーナーで、これまでの動物たちは間借りしていたんだ、という状況もなんとなく伝えようと思って。

  で、家を造る、巣を作るみたいな所から考えるうちに、クモがひらめきました。そして、クモが自分のおしりからピューッと糸を伸ばして降りてくるイメージが、エレベーターにつながると思いついたんです。でも、最初からエレベーターがあるのはまずい。それで、「工事中」でまもなく完成するところ、という設定にしました。完成したばかりのエレベーターに一番に乗せてもらうとか、それによって物語性を深められたと思います。そういった細かい設定は、最初の縦に進んでいく建物にしようというアイデアから、少しずつ僕の頭の中に固まっていったイメージなんですね。



■ 次は下へ下へ・・・『ちか100かいだてのいえ』     

『100かいだてのいえ』は大好評!そして続巻として登場したのが『ちか100かいだてのいえ』。今度は下へ下へとおりていく地下100かい建ての家のお話です。主人公も女の子に変わって、めくり方も上と下が逆になって。その新作についても伺ってみました。

tika_2.jpg 『ちか100かいだてのいえ』 岩井俊雄・作 偕成社


―― 続いて登場したのが『ちか100かいだてのいえ』。今度は地下の家のお話ですね。最初からアイデアはあったのでしょうか?

 前作の『100かいだてのいえ』を作るときに、コピー用紙でダミーを作ったんです。その時に、何も考えずにカレンダーの様に上を綴じました。それでめくってみると上にいかないで、下へ下へいく感じがしちゃったんです。普通、縦開きの本を作るというと、上をとじますよね。だから僕も何気なくホチキスで綴じた側を上にして絵を描いたんですが、「あれ、なんか上にいかないなあ」と。それで上下逆にして作り直してみたら、うまくいったのでホッとしました。
 その時にふと「待てよ。本を逆に綴じれば下にいく話ができるってことだな」と思ったんです。その後『100かいだてのいえ』が完成に近づいてきた頃には、段々と僕の中でイメージがふくらんできて、担当さんに「次の絵本がもし出せることになったら、今度は地下が描きたいです」なんて半分冗談で言っていました。
 その頃から、地下だったら温泉の噴き出す力で動くエレベーターとかどうかな、などと温泉や火山のイメージを、最初から考えていました。


―― 『100かいだて』と『ちか100かいだて』は対になっていて。『ちか100かいだて』の方は、当たり前ではあるんだけれど「土」の匂いがすると言いますか、「生活感」というのがより漂っているような気がしますね。

 100個の部屋が縦につながっているという基本構造は踏襲するとしても、前作と同じと思われてはまずいので違った感じ、例えばちょっと暗くて怖い雰囲気にしたいなとか考えていました。でも、具体的に描き始めてみてすごくよくわかったんですけど、『100かいだてのいえ』のほうは背景が空。基本的に空って何もないんですよね。雲が浮かんでいたりするぐらいで、本当に文字通り「空っぽ」ですよね。例えば、ミツバチやキツツキが食べものを運ぶ、ミツを集めたり虫を集めたり、というのも、結局空からではなく地上から運んでこなけりゃならない。ところが地下の場合は、家の周りにある木の根っこだの、土だのから直接恵みを集められる。ぜんぜん違うな、と思ったんです。


―― なるほど!言われてみればそうですね。

 よく考えると僕らが使ってる木や石などの家を造る素材や、野菜や果物などの食べものって、全部地面からきてますよね。だから地下のほうが生活感がリアルに出せるんじゃないか。僕らは大地に守られて生きてるんだ、というと大げさだけど、そういう感覚が伝えられるのではと思い始めたんです。それで、動物たちが家の周りにある土や木の根っこや、宝石や金などをうまく利用して自給自足的な暮らし方をしている風景を描いたんです。それは僕が自分の家でそういう暮らし方をしたいなと思ってることもあるんです。庭で家庭菜園やったりとか、身近な材料でおもちゃを作ったりするような自分の生きる姿勢ともつながってるんですよね。


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―― 「上へ上へ」という世界と、「下へ下へ」という世界というのは、実はすごく違うものなんですね。

 実際に、世界には100階建て以上の建物はあるけど、地面の下に100階もある建築っていうのは多分ないと思うんです。だから、逆に自由に面白く想像できました。それから地下の場合、自立した塔として描かなくてよいので、ダンゴムシの階のように部屋と部屋を自由につないだ家も描けました。

 あと、前作では住んでいる動物同士の関係が希薄だったので、『ちか100かい』では、全体の住人のつながりを作りたいなと思ったんです。それで最後のパーティの場面に向かって全員が準備していて、最後には全部の動物が集結する場面を描きました。ちょっと謎解き的なストーリーも入れて。

 そんな風に、第一作より少しでも良くしようと思って(笑)。まだまだ勉強中ですね。絵もね、前よりもうまくなりましたねって、偕成社の方に言われたんです(笑)。


―― うちの息子はハリネズミさんの宝石の部屋が大好きで、いいなあって言うんです。男の子なんですけどね。

 そうそう。宝石には結構、男の子も反応してくれるんですよね。特に、ハリネズミの階に登場する七色に光る石は大人気で、さっきワークショップに来てくれた女の子も、もし自分がみつけたら絶対誰にも渡さないって言ってました(笑)。僕はもともと光るものが好きで、メディアアートでも光の作品をたくさん作ってきました。なので絵本でも描きたかったんです。化石や、土を掘る機械なんかも、子どもの頃好きだったし、『ちか100かい』では、より趣味性の高いものを詰め込んでいる感じですね。


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 僕は実は3人姉がいまして、4人きょうだいの末っ子なんですよ。それで女の人に慣れているといいますか、ママたちばかりの集まりの中に男1人だけでも、全然違和感がなくて。娘たちとの遊びも得意だし。僕は男だけど、たぶん女性的な部分もあると思うんですね。今回の『ちか100かい』は、化石、機械、宝石、お菓子など、自分の男の子的な部分と、女性的な部分をそれぞれ両方最大限出して描いた感じです。男の子っぽい絵本、女の子っぽい絵本って絵本によってありますが、この絵本が、男女両方に受けるのはそのせいかな、と思います。


―― 『100かいだてのいえ』のワークショップで子どもたちが描いている絵の内容も、男の子、女の子、というのを意外と超えているんですね。

 そうなんです。あと年齢もあんまり関係ないですね。下は2~3歳から大丈夫ですし、感想ハガキを見ると、意外と10~12歳位の子まで楽しんで読んでくれてるみたいです。絵本だから、子ども向けが大前提ではあるけど、でもやっぱり大人である自分が面白いものを描かなきゃっていうのはあるんです。自分が思い切り楽しんで描けば、読者の年齢はそんなに気にしなくていいと思うんですね。感想ハガキに、「大人も楽しめますね」って、子どもが書いてきたこともあるんですよ(笑)。


―― 描いていて、子どもの頃の記憶が蘇ってくる、という経験もありましたか?

 子どもの頃好きだったものとか、こんな遊びをしたかったな、というのはあちこちに入ってますよね。どろんこ遊びだとか、大人に止められちゃうようなこと、そういうものをあえて描いてみたい、と。描いていてやっぱり気持ちいいんですよね。これぐらい派手にやりたいなあ、って。



■ 自分の中に残っている子ども性     


―― 絵本を読んだ子どもたちからの意外な反応など、印象に残ったものはありますか。

 逆に、意外じゃない反応で驚いていますね。例えば、どろんこ遊びとか、とかげのしっぽが切れるシーンとか、七色の宝石だとかって、こういうのは受けるかも?、と思いながらそれぞれ描いたんですが、ものの見事に、感想ハガキにその部分を「○○が好きです!」と書いてきてくれるんですよね。描いたほうとしては、もうニンマリしちゃうんですけど。そういうのを見ると、自分の中にある「これ面白い!」という感覚は、誰でも共通なんだなと感じますね。

 自分の子ども時代を思い出しながら描くというより、自分の中にある子どもの部分を最大限に使うということなのかな。子どもの遊びって、ハイテクなゲームなどを見ると表面的には変わってるように思うけど、一番原点の部分ではあまり変わってないと思うんです。自分はもう四十代後半だけど、自分が描いたひとつひとつのシーンが子どもたちに喜ばれると、自分の中に残ってる子ども性と、平成に生まれた子どもたちが、実は一緒、ちゃんとつながってるいうことを実感して、すごく幸せな気持ちになりますね。


―― 絵本の場合は、発売後にまた反応が大きく返ってくるというのがまた面白いですよね。そこからがまたスタートというか。

 本当にそうです。今日のワークショップ(※)みたいに、絵本を元に子どもたちがさらに発展させていってくれる。『ちか100かいだてのいえ』につけた「みんなの100かいだてのいえ」(※)への応募はがきは、もう2千枚ぐらい来ているんですけど、日本中からそれだけのリターンがあるというのは本当にすごいことだと思います。
 僕はこれまでインタラクティブに映像を触ったり、音楽を作ったりという様なことができる作品を展覧会などで発表してきたんですが、子どもたちが家の中で絵本とつきあってる時間というのは、展覧会なんかよりもっとずっと長いじゃないですか。小さい子にとってはものすごく濃い時間だと思うんですよ。全然違いますよね。

※ワークショップの様子はこちらから>>>
※「みんなの100かいだてのいえ」ウェブページはこちらから>>>


―― 子どもたちが絵本の中で体験してるっていうのが、見ていてわかりますよね。

 子どもたちにとって絵本とのつきあいは生活の一部ですよね。だからこそ、すごくやりがいのある仕事だなと思い始めています。僕は小さい頃、『そらいろのたね』がすごく好きだったんですけど、その本の事を思い返すと、いまだに温かい気持ちになれるんですよね。絵本の中には実は「たね」自体が描かれてないんだけれど、空色のたねって、どんなふうに見えるんだろうと、想像した感じまで思い出せるんです。これってすごい事ですよね。最後に家がぱっと消えるところは、本当にハラハラドキドキして。40年以上たって、まだ覚えてるんですよね。
 だから僕の『100かいだてのいえ』も、「あの絵本は面白かった」とか「あの時自分で考えた家はこうだったな」とか、今の子どもたちが大人になって思い返してくれたら最高ですよね。



■ みんなでつくる100かいだてのいえ     


―― 今日の様な「みんなの100かいだてのいえをつくろう!」というワークショップは、丸善ラゾーナ川崎店さんが最初に考えだされた事がきっかけだったそうですね。


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※この日、丸善ラゾーナ川崎店さんで「いわいとしおさんと100かいだてのいえをつくろう!」というワークショップが行われました。様子はこちら>>>


 僕は、以前から参加性のある作品をつくっていたこともあって、それをさらに発展させたワークショップや小学校での特別授業なども積極的にやっていました。子どもたちから、何かを引き出すことが好きなんです。

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光のえんぴつ、時間のねんど―図工とメディアをつなぐ特別授業』 岩井俊雄著・美術出版社
※小学生のためのユニークな特別授業がまとめられた本です。

 それで、絵本ではどうしたらいいのかな、と思うところがありました。自分の絵本が、各家庭で読み聞かせされているというのは、ある種インタラクティブでいいことなんだけど、受身的でもありますよね。本当は、自分の絵本をきっかけに、子どもが触発されて何かを創り出すみたいな所までいってくれたら理想だな、と思っていたんです。
 物語性の強い絵本だと、どうしても読者は受身になりがちなイメージを持っていたんです。絵本の中には、五味太郎さんの『らくがき絵本』の様に直接子どもが絵を描いて参加できるものもあるし、『100かいだてのいえ』を作る前は、自分が絵本を作るなら、そういった参加性があるほうが自分らしいのかな、とも考えたりしました。ところが、実際にこの絵本を出してみたら、近所のお母さんが「子どもがこんな家を描きました」と見せてくれたりして、子どもが予想以上にリアクションしてくれてることがわかったんですよ。

 そんなことがいくつかあってしばらくしたら、丸善ラゾーナ川崎店の書店員の方が、店頭で『100かいだてのいえ』を使った参加型の企画をやってみたいと言ってる、って担当さんから聞いたんです。「それはいいアイデアですね!」と、すぐに専用の用紙をデザインして使ってもらいました。結果それがものすごく好評だったので、もっと広めたいなと。最初は、自分のブログでやろうかなと思ったんですけど、描いた絵をどう集めるかとかいろいろ難しい。それでなかなか実現できずにいたんですが、『ちか100かい』が出る時に、急に偕成社さんから愛読者カードを参加型のものにしてもいい、という話が出たので、やった!っていう感じでできたんです。


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↑『ちか100かいだてのいえ』には、「みんなの100かいだて」に参加できる愛読者カードが付いていて、特設HPの方に毎週アップされていきます!こちら>>>


―― 絵本を読んだ事がきっかけで、子どもたちにこんな発想が生まれくる・・・というのは見ていて、本当に面白いでしょうね。

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 子どもたちって、面白い歌を聞けばそれを歌いたくなるし、面白いものを見れば描きたくなりますよね。だからその受け皿として絵本の中に絵が描けるハガキが入っていて、なおかつ、それが家の中のらくがきで終わらずに、日本中の仲間とつながっていくっていうのはすごくいいんじゃないかと。


―― つながった瞬間っていうのは感動するでしょうね。

 ええ、そのつながった時の感動がまた刺激になってさらに次に、となるといいですね。「みんながこんなの描いてるんだったら、もっとこうすればよかった」って思う子もいるでしょう。ただ、絵本一冊につきハガキ一枚でもすごい数が届いているので、これ以上増えたら大変なことになりそうですが(笑)。


―― 「みんなの100かいだてのいえ」では、描く時のアドバイスというのはありますか?

 自分の好きなものや、こだわりをなるべく詰め込んで欲しいですね。詰め込めば詰め込むほど面白くなってくるんです。僕がこの絵本を描くときがそうでした。さらりと描いたものより、ディテールにこだわり始めると、すごく面白くなってくるんですよ。今日のワークショップでも、そのレベルまで来てるなっていう人たちが何人もいましたね。最初は「何描こう・・・」という感じなんだけれど、描いていくうちにどこかに臨界点があって、それを超えると面白くてやめられなくなるという感じ。そこまでいって欲しいと思います。



■ 絵本を読んだ後にも     

―― 絵本を通して親子でこんなふうに触れ合ってほしい、という事はありますか?

 絵本というのは、結局は人がつくったものなんです。読み聞かせで親子ならではのコミュニケーションができるという、メディアとしての良さはありますが、すでに出来上がった世界を味わうという意味では、テレビなんかと同じで受身に近い部分もあると思うんです。本当は、外に出て遊んだりしたほうがいいのでは、と思うところもあります。

 でも、「みんなの100かいだてのいえ」みたいに、うまくやれば子どもが絵本から感じ取ったことを、絵に描いたり、何かを作ったり、そういうクリエイティブな事につなげることがやりやすいメディアだと思うんですね。例えば、テレビでどんなに面白いものを見ても、子どもがテレビ番組を作るわけにはいきません。しかし絵本は、紙の上に印刷されたものだから、真似して描けるし、似たような絵本を作ろうと思えば作れる。うちの娘も、よく自分で紙をホチキスで綴じて本やノートの様にして遊んでいます。そんな風に本というのは、いつの時代になっても僕らの身体にすごく近い、生活に密着したものなんですね。子どもたちが持っている「表現したい!」っていう気持ちにすごく寄り添えるメディアだと思うんですよね。

 だから子どもと絵本を読んだあとには親子で絵を描いたり、絵本をきっかけに一緒にお話を作ったり、と世界が広がっていったら、すごくいいなと思いますね。絵本を一方的に詰め込むというよりは、いい刺激を入れたことによって子どもから何が出てくるか、親がしっかり見て伸ばしてあげる気持ちで、絵本を読んであげるのがいいんじゃないかと思います。


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―― 岩井さんの中でも、『100かいだてのいえ』シリーズの制作を通して「絵本」に対する発見が色々とあったのでしょうね。

 子どもが送ってくれた感想の中で、「ページのめくり方が逆でびっくりしました」っていうのもあるんです。5歳の女の子から「こんな絵本見た事がない」というのも。たった5歳の子でさえ「本とはこういうもの」という既成概念がはっきりあるという事が面白いなあ、と。『100かいだてのいえ』は、読み聞かせがしにくいというお母さんたちの意見はあるのですが、子どもたちのほうはまったく気にしないようです。逆に新しさを楽しんでくれている感じがします。

 テレビでも映画でも、世の中には横長のものが多いですよね。人間の目が横に並んでいるから当然といえば当然なんだけど、だからこそ縦にしてみると意外性がある。特に、この絵本のように上へ登っていく感じは縦じゃないと出せないから、使わない手はないですよね。絵本だからこそこれができる!ということを、言いたいですね。

 それから、本ってどこから開いてもいいっていうのがありますよね。映画やゲームというのは、やっぱり最初から順番に見ないといけないけど、本は、パッとどのページでも開ける。それを利用しようと思って作ったのが、『どっちがへん?』などの絵本だったんですよね。

 そんなふうに、本の形はそのままでも、アイデアによってはまだまだいろいろできるんじゃないかって思っています。


―― 今後、どんな考えが出てくるか、その辺りも楽しみにしていていいんですね。

 そうですね。でも一方で、普通の絵本もいいなと思い始めてるんです。先ほども言いましたが、僕には絵本を読み聞かせしてもらった記憶があまりないんです。でも、逆に僕の父は本も何も使わずに布団の中で寝る前にお話をよく聞かせてくれたんですね。しかも、それは父の創作童話でした。レパートリーがいくつかあって、姉が3人いたので、4人めの僕の時には、たぶんかなり話し方もこなれていて(笑)。僕はもう、毎晩すごく楽しみにしていたんですよ。そんなことができた父はすごかったな、というか、今はすごく感謝しているんです。そういう体験があるので、僕も父には負けられないと、娘と一緒にお風呂に入る時は即興でお話を作って話したりするんですよね。

―― 私も息子に言われてやっていたんですけど・・・かなり難しいですよね。

 僕も苦手だったけど、だんだんできるようになりましたね。もちろん、毎回面白い話にはならないかもしれないけど、即興性があるからこそ、子どもは喜んでくれるんですよね。例えば、子どもに3つ何かを言ってもらって、それをつないでお話を作る三題噺みたいなもの。大変だけど、実際やってみると思いがけない物語が生まれたりして、僕自身にもいい訓練になってます。
 口に出す、耳から聞く話っていうのは、読むのとはまた全然違いますよね。無駄がなくて。文字で書いちゃうと、かなりそぎ落としたと思っても、あとから無駄がいっぱい見つかるんだけれども、即興で語る言葉って、その場で子どもがあっち向かないように一生懸命やるからいいのかもしれないですね。


―― 絵本作りのヒントが隠されていそうですね。

 こんな風にいまやっている事が、もしかして将来絵本につながるかもしれませんよね。これまで使ってなかった部分を自分からどれだけ掘り起こせるかということでも、僕は今、すごく新鮮に絵本というものと向き合っているというか、可能性を感じているんです。45歳ぐらいから急に絵本を描くことになったんですが、まだこんな人生が自分に待っていたかと思うと、面白いですよ。また新たなスタート地点に立ったみたいで。


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―― ありがとうございました!


<最後に・・・>
理路整然と話される岩井さんを前に、少し緊張。でも、子ども達の素晴らしさについて話される時のほころんだ表情に嬉しくなって、ついつい長い時間お伺いしてしまいました。
岩井さんと絵本。今後どんな風に向き合われていくのか本当に楽しみです。

2010年02月25日

「いわいとしおさんと100かいだてのいえをつくろう!」
丸善ラゾーナ川崎店さんでワークショップが開催されました。

先日(2010/1/17)の日曜日、丸善ラゾーナ川崎店さんで
「いわいとしおさんと100かいだてのいえをつくろう!」という
ワークショップが開催されるという事でお邪魔してきました。
丸善ラゾーナ川崎店さんは、この「みんなの100かいだてのいえ」というワークショップを
一番最初に開催されたお店だそうですよ。

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「100かいだてのいえをつくろう!」ワークショップ会場はこちらです。

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机の上にはペンやはさみなど。
そして、一人二部屋描ける専用の紙が用意されています。

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さあ、岩井俊雄さんの登場です!
「この絵本、読んだことあるひとー?」

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「この『100かいだてのいえ』みたいに、みんなも好きな部屋を描いてください。
必ず上と下の部屋につながる階段もつけてくださいね。」
今回は、「冬の100かいだてのいえ」をみんなでつくることになりました!
「お父さんやお母さんも一緒に描いてみてくださいね。」

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早速スタートです!
「うーん、冬と言えば何だろう・・・。」


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一所懸命考える子、手がどんどん進んでいく子。お母さんも真剣です。


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時間が経つにつれ、集中力が増していく子どもたち。


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終わりの時間が近づいてます。ここにもうちょっと描き足して・・・。


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終了~!!
「みんな出来た作品を前に持ってきてくださいね。」

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一枚ずつみんなが描いた部屋をつなげていきます。

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どんどん長くなります!

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「これ、わたしの!」「これ、ぼくの!」

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みんなの描いた部屋を順番に見ていくから、並んで座ってね。

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部屋を暗くして、カメラが乗った台をコロコロ動かしていくと・・・?

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うわー、みんなの部屋が大きく映りました。
 
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岩井さんが、描いた子に質問をしたり、感想を言ったりして、一部屋一部屋紹介してくれます。
思いがけないアイデアが次々と飛び出します。
「かわいいー!」「おもしろい!」「なるほど。」かなり盛り上がりました。
 
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最後に岩井さんが描いた屋上がのって・・・「みんなの冬の100かいだてのいえ」が完成!!
ジャーン!こんな立派なうちが建ちましたー↓
 
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雪がたくさん降ってますねぇ。中には、どんな部屋があるのでしょう?
大きく載せてみました。細かくご覧になりたい方はこちらからどうぞ>>>

2010年02月24日

みんなでつくった「冬の100だてのいえ」が完成しました!

丸善ラゾーナ川崎店さんで行われた、
「いわいとしおさんと100かいだてのいえをつくろう!」
というワークショップで、参加された皆さんが描いた作品が全部つながった
「みんなのいえ」が完成しました。テーマは「冬のいえ」です。

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2010年02月12日

鈴木のりたけさん 「続・しごとば」制作日記その17

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刷りたての「続・しごとば」が我が家に届き
ようやく、続編を描きあげたのだな、という実感がこみ上げてきました。

一番始めに手を付けた豆腐屋さんの絵を見て
ずいぶん昔に描いた絵だな、と思いました。
絵に描き入れてある時計の文字盤に
小さく「102豆腐店」と書いてあるのを見て
なんだこの「102」って?と思いましたが
しばらくして「102=トウ、フ」ということに気が付き、
我ながらあきれ果てたと同時に
そんな小ネタも忘れるほどの時間の経過を痛感しました。
もっと時間が経ったときに
どのくらい自分を楽しませてくれるのか
そんな未来の楽しみもありそうです。

本が仕上がった=制作終了ではありますが
絵本としては、みなさんにお披露目するこれからが本番です。
一冊目の「しごとば」にも増して
見応え十分の内容に仕上がっています。
是非お手にとっていだだき
みなさんの家の本棚でずっと愛され続ける本になりますように
まだ固さの残るピカピカの本を手にして、改めてそう思いました。
よろしくお願いします!


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    『しごとば』               『続・しごとば


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2010年02月10日

『でも、わたし生きていくわ』
翻訳者柳田邦男さんにインタビューしました!

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砂漠でみつけた一冊の絵本』『大人が絵本に涙する時』など、「大人こそ絵本を」という呼びかけを広く行っており、また近年絵本の翻訳にも力を入れてらっしゃるノンフィクション作家柳田邦男さん。
その柳田さんがこれまで翻訳された絵本の中でも、最も心を揺さぶられた作品の一つだとおっしゃっているのが昨年の11月に発売されたばかりの新刊『でも、わたし生きていくわ』(文溪堂)。訳しながら涙が止まらなかったということですが、一体どんな内容の絵本なのでしょう、そこにはどんなメッセージが込められているのでしょう。

今回、絵本ナビでは柳田邦男さんへのインタビューが実現、仕事場にお伺いしました。

とんでもなくお忙しい日にお邪魔してしまった我々一同に、始まりは少しバタバタしながらも、一度絵本の話になるととても情熱的にメッセージを語ってくださった柳田さん。
子ども達の「心の成長」について、「いのち」について、真摯な言葉の数々に思わずこちらが涙してしまうシーンも・・・。

その深く温かいメッセージをじっくりと味わってください。

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柳田邦男(やなぎだくにお)
1936年生まれ。ノンフィクション作家。現代人の「いのちの危機」「心の危機」をテーマにドキュメントや評論を執筆する傍ら、心の再生のために「大人こそ絵本を」のキャンペーンを展開。エッセイ集『砂漠でみつけた一冊の絵本』(岩波書店)『大人が絵本に涙する時』(平凡社)『みんな、絵本から』(講談社)や、翻訳絵本『エリカ 奇跡のいのち』『ヤクーバとライオン』(ともに講談社)、『だいじょうぶだよ、ゾウさん』『くもをおいかけてごらん、ピープー』(ともに文溪堂)などで、子どもの心の発達についてのメッセージを発信し続けている。



■ 『でも、わたし生きていくわ』に込められたメッセージ     



―― 突然の両親の死というショッキングな出来事で始まる『でも、わたし生きていくわ』。この絵本に最初に出合われた時の印象を教えて頂けますか?

 以前、文溪堂の『だいじょうぶだよ、ゾウさん』と『くもをおいかけてごらん、ピープー』というローレンス・ブルギニョンさんの作品を訳したんです。その二冊を出しているベルギーの出版社から出ているって事でこの絵本にも出合ったんです。

 僕は絵本を読む時に、そこに心を動かす決定的な言葉なりシーンなりがあると「これはどうしても訳したい」っていう気持ちになるんです。この作品は、子どもの心が一段階成長したり、あるいは何かに気づいたりする、そこのところがすごくよく描かれている。子どもの心っていうのは、なんとなく漫然と1日ずつ大人になっていくんじゃなくて、何か出来事とか出会いとか言葉とか、そういうものに遭遇することによって、階段をぽんっと二段ぐらい上がるような形で成長するんだと思うんですよね。そういう心の成長なり発達なりが、見事に描かれている。そういう場面があると、この絵本作家の伝えたいことっていうのがズシーンと胸に響いてくる。それで訳したくなるんだ。


Ehon_30317%20%281%29.jpg 『でも、わたし生きていくわ
                   (コレット・ニース=マズール作 エステル・メーンス絵 文溪堂)
両親の死で、7歳のネリーは幼い弟妹と別れて引き取られる。そこで温かく迎えられ、週末には3人一緒に過ごせるようになるが…。両親を亡くした幼い3人姉弟に周囲は温かい。しかし、優しさに触れれば触れるほど、何かの瞬間に甦る喪失感は深くなってしまう。その悲しみを乗りこえた時、人は大きく成長します。


―― まず作家のメッセージを感じ、それをどう表現するかという事なんですね。

 そう、それがとても大事なことで。『でも、わたし生きてくわ』の主人公ネリーは両親が亡くなってしまうという大変ショッキングな不幸に出合う。しかも幼い弟、妹がいる。そういう中で長女であるネリー、まだ7歳で、大変な経験だと思うんですよね。だけど、そのネリーを支えて再生させたものは何なのか。再生させるところまでネリーの気持ちを持ち上げていった結果何が生まれるのか、それがこの絵本で語りたいところなわけです。

 それがもっとも象徴的に語られてるシーンというのがここ。
<ときどき、夜になると、あの事件がおきるまえの日々のことを思いうかべるわ。パパやママがいまもいたら、どんな毎日になってるだろう。思わず涙があふれるけれど、そのうちねむってしまう。悲しみは消えないけれど、いま、わたしは、しあわせ>


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 この、思わず涙があふれ、だけど眠っちゃうっていうの、本当に子どもらしいと思うのね。大人だったらもう夜を徹して、まんじりともしないで泣き明かすようなところが、子どもだから寝ちゃうの。寝ちゃうからって悲しみがなくなるわけじゃなくって、消えない。でも、幸せって言って・・・この矛盾ね。矛盾は矛盾じゃないんですよね。子どもであれ大人であれ、人間の心っていうのは対立するような感情なり矛盾するような感情が同時にあるのが自然な姿で。
 そういう喪失体験があったときに、悲しいし、ショックも受ける。だけれどね、子どもっていうのはものすごい順応能力があって、まわりが優しく支えてくれると、すぐに遊んだり、歌ったりできるようになるのね。だから、「悲しみは消えないけど幸せ」と言えるほど前向きに生きられるまで持ち上げていくということが、真の癒しであり、子どものケアにとってはとっても大事なこと。そのことをここでは端的に表しているんです。


―― この絵本の中でとても印象的だったのが、ネリーを取り巻くまわりの人達の優しさです。

 そうですね。ここの親戚のおじさん、おばさん達がものすごく優しいし、クラスメートもとっても心配して。時には「優しすぎて変に感じるときがある」なんて言ったりしてね、ここの表現はすごくおもしろいよね。こういう風にまわりのみんなが支える。「しっかりしなさい」とか「頑張れ」とかって言うんじゃなくて、本当に優しく、その子なりに生きられるように支える、それが条件なのね。その結果、悲しいのだけれど毎日が生きられる、明日も生きられると言えるようになるんです。


―― そして生まれたものというのは・・・。

 最後のシーンでネリーは、窓辺で遠くを見ながら、自分が大人になったら、窓やドアがたくさんあって、どんな子でも入って来られるそういう家をつくりたい、大きい子でも小さい子でも誰でも入ってきて「私の家族よ」って言って抱きしめてあげるの、と思いをめぐらせるんです。これはすごいことですよね。
 自分自身が親がいなくなって、そして親戚に預けられた。だけど、おばさんもおじさんも自分の子として扱ってくれる。単に、義理で預かってるんじゃなくて。
 例えばここの場面、髪の毛を自分で切って、とんでもないざんばら髪になっちゃっておばさんに怒られる。その時に泣いて「ママー」って言ってね、おばさんじゃなくて自分の死んだママに対して「ママー」って言っちゃったんだよね。そしたら、おばさんが怒っちゃうわけ。「なんでママに助けをもとめるの?私がママよ」って言ってね。「もうあなたは私の子よ」って言って抱きしめてくれるんだよね。

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 そのぐらいの支えがあるから幸せって言える。その経験があるから、自分が今度、大人になったらおばさんの様にどんな子でも受け入れて自分で育てるって言う。そういうような開かれた家庭、血のつながりじゃない、幼い子は万人の子なんだって、そういう意識につながっていく。
 それを生み出すものっていうのは、落ち込んだり悲しんだりしてる子どもが、そこで閉じこもらないで開かれた心になるように支えてやる、ってこと。ここでの「おまえはもう私の子なのよ」っていう支え方っていうのが結局その子の人生を決めちゃうわけですよね。悲しみを乗り越えて、そして自分の人生を切り開いていくような強い心を持てる、それがこの子にとっての決定的な成長になる。恐らく、階段でいえば3段も4段も一気に上がるようなものだと思うんですけどね。
 そういうようなことがすごくよく描かれているんです。


―― 今のお話を聞いていて、子どもが成長していく瞬間を見るっていうのが、大人にとってはすごい心を動かされる、揺さぶられる瞬間なんだっていうことに気が付かされました。

 ええ。だから、もう、これね、訳しながら何回涙が出ちゃったか。
(絵本の中の)「訳者のことば」にも書いたけど、今の子って自己肯定感を持ってない子や自尊感情の持てない子がすごく多い。3割位いるっていうね。そういう時代に、この絵本を子どもたちに読んでほしいと同時に大人たちに読んでほしい。自己肯定感を持てない子のお尻たたいたって駄目なんですよね。「しっかりしろ」って言っても駄目なんです。その前に自分自身が本当に目覚めていくような優しい包み方、そういう中から再出発できるんだよってね。


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―― 『でも、わたし生きていくわ』というのは少女ネリーの強い意志を感じる、印象的なタイトルですね。また、表紙の絵にもこだわられたと聞いています。

 原題はフランス語なんですけども、英語だと『Since that day』、つまり、お父さん、お母さんが突然居なくなっちゃった日以後の話って。なんか小説的タイトルですよね。
 自己肯定感の持てない子どもたちへのメッセージとして、生きるっていうこと、どんなつらいことがあっても生きるっていうこと、それを伝えたいっていう気持ちで、こういうタイトルにしたんです。

 僕自身が小学校の4年の時、終戦の翌年ですけれど、父親が亡くなって、貧困になって、そして兄弟が多かった。当時の家族ですから。もうみんなティーンエイジャー時代から自分で働く、働かなきゃ食えないっていう、そういう中で生きて。だから僕は苦労することとか境遇が恵まれないってことは、むしろプラスに評価するように人生観が持てたんですよね。それをばねにして生きていく。そういう僕自身の背景もあって、人間って本当に強くなるなり、あるいは自分の人生を開いていくっていうのは、逆境のほうがむしろいいんだっていうぐらいの気持ちでこの本をすすめたいと思って。

 実は表紙もね、この絵がいいと思って直前で変えてもらったんですよ。日本には表紙カバーというのがあるからね、こういう形で実現できたんです。このネリーの顔、この目がね、未来を見つめる目がいいんです。どうしてこれだけの悲劇から、こんなに未来を見詰める目が生まれてくるかっていう、象徴的な顔なんだ。生き生きとしてさ、「わたし生きていく」っていう、決意がここに表明されてる。


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▲表紙カバー取ると違う絵になるんです!カバーの絵は柳田さん自身が選ばれたそう。



■ 「死」をテーマにした絵本について     


―― 『わたし、生きていくわ』という作品には「死別」というをテーマが含まれていますね。他にも「死」や「いのち」というものをテーマにした絵本というのがあります。自分自身、それらを読む事によって様々な事を考えさせられたりしています。それで、大人というのは自分の意思で読む事ができると思うんですけど、子どもたちにこの様なテーマの絵本をどのようなタイミングで読んでほしいかとか、どういう触れ合い方をしてもらいたいというのがあれば一番お伺いしてみたかったのですが。

 ええ。あのね、僕は非常にショックを受けた場面があるんです。
 ある絵本原画展で、その会場の前にいっぱい絵本が並んでいてね。その中にイギリスのスーザン・バーレイの『わすれられないおくりもの』(小川仁央・訳 評論社)っていう絵本があって。それを子どもが手に取って、興味を引かれて読み出していたのね。それで「これ、欲しい」って言ったんです。小学校の1年生か2年生ぐらいの男の子だったかな。そしたら、お母さんがね「それ、嫌い」って言ったの。「だって、死んじゃうんでしょう」って・・・。僕は、そのシーンを見ててすっごいショックだったのね。このお母さん、誰のために絵本考えてるんだろう、何だろうってね。「死んじゃうんでしょう、そんなのいや、嫌い」って。もう僕はがっくり来たんだけどね。


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僕のエッセイの中でも書いているんだけど、『わすれられないおくりもの』っていうのは、細谷亮太先生(聖路加国際病院副院長 小児総合医療センター長)の病院に入院された2歳半の子が亡くなった時に、細谷先生がそのお姉ちゃん、お兄ちゃんに読んで聞かせてあげたそうなんです。そしたら今まで弟の死を理解できなかったお兄ちゃんとお姉ちゃんがね、しっかりそこで涙を流して看取ってお別れもできたって言うんです。それだけじゃなくてね。その時小学校に上がる直前、6歳だったお兄ちゃんが、弟を失った体験、その絵本を読んでもらって涙を流した体験っていうのをずーっと誰にもしゃべっていなかったの。
 ところが5年後、5年生になって本当にしゃべってもいいような気心の通じる友達に出会えたので、初めて話したそうなんです。そうしたら、友達が涙を流してくれたって言うのね。で、話して良かったと思った。自分も弟のことを1日も忘れたことないし、あの絵本を思い出すと悲しくて涙が出るって。それは、彼にとってはものすごく大事な心の成長につながったわけですよ。ただ漫然と弟がいなくなっちゃった、死んじゃった、そして月日の中で忘れていくっていうんじゃなくて、細谷先生がそれを読んだことによってものすごく深く刻まれて。
 絵本ではアナグマさんが年をとってあの世へ行ってしまうのだけれど、みんな忘れない、心の中では生きてるっていう構造を彼もそこで気付いたわけですね。それを胸に刻んでるから5年経ってもいまだに毎日「(弟が)天使の姿で現れる」って言うんですよね。だから、そういう別れとか死別っていうのも、子どもにとっては大事な経験だし、ある意味では一番大事な心の成長につながる経験なんじゃないかと思うんですね。

ehon133_a.jpg 『わすれられないおくりもの』 (スーザン・バーレイ作 評論社)

 別れや死別、というのをテーマにした絵本というのは確かに悲しい話ですよね。
 小学生の男の子でね、悲しい場面が出てくるととにかく泣いて先が読めなくなっちゃう、という子がいたんです。『だいじょうぶだよ、ゾウさん』とか、他の幾つかのそういう別れの場面のある絵本だとか。だからそういう本を読ませられないって言って親御さんは頭を抱えてるんだけど、僕はそれはそれでいいと思っているんです。きっとその子は感性がものすごく鋭いんだろうと。人の10倍ぐらい感じて、読めなくなるぐらい悲しくなっちゃうんだと思うけれど、いつかね、そういうのを乗り越えられる日が来るから。
 ただ「この子は泣いちゃうからこの本は読ませない」というのはやめたほうがいいです。むしろ、強制的に読ませないとか、無理に読ませるとかってそんなことじゃなくて、自然に段々そういうものを受け入れていくようにね。感性が鋭くて先が読めないぐらいだった子が、それを受け入れられるようになった時っていうのはすごい心の成長になるわけだからね、とても大事な経験になるはずだと。
 そういう目で接したほうがいいんじゃないの?って言ってあげたんですけどね。


── 読みきかせている方が泣いてしまうかもしれません。

 読み聞かせっていうのは絵本にとっては不可欠で、買って与えるだけじゃ絵本にならない。やっぱり、親が肉声で感情込めてやるのよ。読み方っていうのは自己流でいいと思うんですね。あまり感情を込めずに穏やかに読むといいって言われている事もあるけど、僕はそう思わないんだな。親子っていうのは感情を共有することが大事で、だからお母さんが泣けばいいんですよ、一緒になって。「あ、お母さんも泣いてる」とか「お父さんも泣いてる」とかって。それでいいんだろうと思うんですよね。

 『だいじょうぶだよ、ゾウさん』を学校で担任の先生が読み聞かせしたらね、途中で先生が泣いて行き詰っちゃったらしいの。そしたら、クラス中にどよめきが起こったって。子どもにとって、先生が読み聞かせしながら泣いちゃって言葉が続かなくなる、っていうのはすごいショッキングな経験だと思うんですよね。それでいいんだと思うの。「ああ、先生も泣くんだ」って。その中から、自分の心が、感性なり感情なりが、非常にきめ細かく育っていくんだと思うの。


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■ 翻訳したいと感じる絵本について     


―― 今までも様々な絵本を翻訳されてきた柳田さんですが、それぞれの作品の最後に必ず「訳者のことば」というのが記されていますよね。どの様に翻訳する絵本を選ばれるのでしょうか?

 ただ漫然と絵本なら何でもいい、楽しければいいとかじゃなくって、僕が訳すってなんだろうってなって考えるんです。

 僕は絵本作家でもないし児童文学者でもない。だけれど、今の日本の状況を見ていて、子どもたちの成育環境っていうのは本当に劣悪だと思うのね。親子の肉体的な接触、スキンシップ、そういうものが非常に希薄になっている。核家族化が進む中、マンションの中で子どもが孤立している。あるいは、母子が孤立している。そういう状況下で、子どもの心っていうものの成長が怪しくなってきて、ゆがみやすくなってきてる。それが僕が時代を見詰めたり、世の中の事件を見たり、あるいは時代の変化を見てると、もうすごく深刻な問題だなあって思ってるわけですよね。そっちから、絵本にアプローチしているんです。
 もう一つのアプローチとして、大人自身の心に潤いを取り戻さないといけないという思いがある。大人自身の心が枯れてるから、非常に索漠としてる。よくいわれるようにお金と物に振り回されてるみたいな。もうちょっと踏みとどまって自分を見つめてみましょう、と。あるいは、中高年になって病気をしたりとか、人生思うようにいかなくなったりした時にもう一度「生きるってなんだろう」とか「大事なものはなんだろう」とか考える上で、絵本っていうのは意外に普遍的なものを教えてくれる。気づかせてくれる。そういうアプローチと、僕には2つあるんですね。

 そういう意識があるから、この絵本は何を伝えたいんだろうかと考え、その伝えたいテーマなり、エピソードなりが僕の問題意識にピンと来るものに限定してるんです。編集者から作品を持ち込まれたり相談される事は多いのですが、お断りする例も多いんです。で、ピンっとくるものがあると「あ、これは訳したい」と思う。

―― 大きなきっかけとなった作品の一つが『エリカ 奇跡のいのち』なのだとか。

ehon9027.jpg 『エリカ 奇跡のいのち
(ルース・バンダー・ジー作  ロベルト・インノチェンティ絵 講談社)

 僕は翻訳始めて7~8年になりますけれど、その最初の頃、講談社で『エリカ 奇跡のいのち』っていう絵本を訳したんです。
 第2次世界大戦中のドイツで、収容所に向かう列車の窓からせめてこの子だけはと投げ捨てられた赤ちゃんが、農家の優しい女性に拾われて奇跡的に助かったというお話です。

 <お母さまは、じぶんは「死」にむかいながら、わたしを「生」にむかってなげたのです。>という原文を読んだ時、ぼくは震えるような思いがしたんです。子育てがいいかげんになってる今の時代だからこそ、もう一度生きるか死ぬかの原点に戻って、子どもに対してどういう向き合い方をしなければいけないか考える。こんな強烈なメッセージはないと思って、それで「訳しましょう!」って言ったんです。
 そのとき一番苦労したのは、今はもう自分で孫もいるような主人公エリカという女性が、旅行中だったアメリカの女性に顔も知らない実の母の気持ちを推測しながら話をする。その綿々とつながる言葉ね。これをどう訳すかっていう文体が、おそらくこの絵本の成否を分けるだろうと。母の愛のすごさというものが伝えられれば、時代を超えて伝わっていくに違いないと。

 この絵本を訳してから、日本の親たちや子どもたちに「これは今伝えたい」というものがある作品に限定していこうと思ったんです。


―― 「伝えたい」という意識を持って絵本の翻訳をされるのでしょうか?

 『だいじょうぶだよ、ゾウさん』でもね、すごく意識的に原文直訳じゃなく、僕の言葉で訳しているんです。
<ネズミはいまや心の成長をし、前のように怖がらなくなっていました。>
 ここは原文にはないって言ってもいいような訳なんです。だけど、絵本の言葉っていうのは、ものすごく省略した、いわば研ぎ澄まされたエッセンスといっていいわけで、それを日本語に置き換える時には、言葉の背景にある作家の思想なり、あるいは作家が伝えようとしたものを読み取って、じゃあそれはどのような文体や言葉にしたら読者に伝わるかっていう、そういう考え方をしないと、いい翻訳にならないんですよね。


ehon8523.jpg 『だいじょうぶだよ、ゾウさん』 
(ローレンス・ブルギニョン・作 ヴァレリー・ダール・絵 文溪堂)
年老いたゾウは自分の死期を悟るが、一緒に暮らしていたネズミはそれを受け入れられない。しかし幾つもの季節を重ねるうちにネズミも成長して…。

 この作品で大事なのは「心の成熟や成長とかっていうものは時間経過の中で生まれてくる」、そこが描かれているということ。そうすると、心の成長という問題が別れの場面でとても大事になる。それをどういうふうに表現したらいいか。どの瞬間に言ったらいいかっていうのを考えて、翻訳したんです。
 もう一つは、旅立つゾウさんが心置きなくつり橋を渡っていく、つまり死を受容し、人生に納得して、何も恐れや不安がないということ。そのつり橋が壊れていたんでは、痛みや苦しみで、本当に人格を失うようなことになる。それを直すっていうことは、言うならば緩和ケアをするわけですよね。痛みも苦しみも不安もなく渡っていけると。その時に、いったいゾウさんの心模様なり、見送る者の心模様というのはどんな言葉だろうかと。
 原文では「fine」という言葉を使ってるんですよね。「fine」って何なんだってね。「いい橋つくってありがとう」って、そう言ってるんじゃないんだよね。要するに旅立ちというものの全体、つまり不安や恐れもなくあの世に行ける、そしてあの世へ行っても、そこには安心立命の地があるという、この全体を指して言ってるわけね。それを子どもにも分かる一語で表現したら何だろうかって、考えて、考えて、考えて、1カ月考えて。「だいじょうぶ」っていう言葉にしたんです。
 最後にゾウは振り向いて答える「こわくなんかないよ。だいじょうぶ」、こう言ってるんだよね。


―― 昨年には『でも、わたし生きていくわ』も含めて4冊も翻訳されているんですよね。それぞれの作品の、翻訳者から見たみどころというのを教えて頂けますか。

 ええ、それはもうさっき言いましたように、私自身の問題意識やテーマ意識にぴたっと来る、そういう本がたまたまあってね、4冊も抱えちゃって。
 それぞれ絵本の山場というか、メッセージを発している大事な場面というのが、一つか二つかあるんですね。そこをしっかり押さえて翻訳していくんです。

Ehon_30198.jpg 『その手に1本の苗木を』 (クレア・A・ニヴォラ 作 評論社)

 例えば「もったいない」運動で知られるようになったケニアのマータイさんの伝記絵本『その手に一本の苗木を』で言うと2箇所あるんですね。
 1つは、若き日にアメリカに留学したマータイさんがシスターである教師から「自分のことだけをかんがえるのではなく、もっと大きな世界のことを考えなさい」と教えられた。アフリカのケニアの農村地帯からアメリカへ行って、キリスト教的な世界の一つの人生観というものに触れたということは、大きなインパクトだったと思うんですね。それがマータイさんの一生を決めることになる。だから、それをケニアという国でどう生かすかという姿勢がはっきりとできるんですね。
 それと同時に、留守にしていた5年の間でケニアの国土がガラッと変わっていた。商業農業が入って来て、古典的な自然の森や作物を大事に育てていたというものが大量生産で一面森が切り払われている。砂漠化し、貧困と健康被害が広がっている。その様変わりを見て、マータイさんが意を決して植樹運動を始める。グリーンベルト運動を女性達に呼びかけるんです。最初は失敗してなかなかうまくいかないのだけれど、マータイさんはひるまずにやる。第二の山場っていうのが、失敗してもくじけないで続けるという、継続は力なりっていうこと、それがきちっと描かれてるんだよね。

 タイトルとして非常にヒントになったのは、刑務所や軍隊に行ったりまでして植樹をキャンペーンした時に、その兵士たちに「あなたたちは両手でこう銃を持ってる。何を守るんですか?」と呼びかける。「風が吹き雨が降るとこの国の大地が失われていく。銃は右手に持ち、左手に1本の苗木を持ちなさい。」って説くんです。これが一番タイトルにアピールするだろうと思って。軍隊相手っていうよりは、すべての人、仕事をする人でも誰でもいい、とにかく右手で仕事をし、左手に1本の苗木を持ちなさいって、そういう意味でこのタイトルを僕がつくったんですよ。原題は『Planting the trees of Kenya』(ケニアに木を植える)って言うんですけどね。

Ehon_29363.jpg 『少年の木』 (マイケル・フォアマン・作 岩崎書店)

 戦乱の瓦礫の中で暮らす少年が主人公の『少年の木 希望のものがたり』は何を描いているのか。この瓦礫の中にあっても、小さな植物の芽、あるいは命の芽に対して水やりをする。空き缶にたまった雨水で。この少年のピュアな気持ち、感性、大切さみたいなもの、そこからすべて再生のエネルギーが出てくるんだっていうことが、この本の中で一番大事だと思うんですね。
 だから「しっかり飲んでね」っていう言葉、これがとても大事だったんですね。この「しっかり」っていう言葉、ずいぶん翻訳で考えたんですけどね。
 それともう一つは、いったん育ったブドウ園がまた兵隊に引き抜かれちゃう。そのときの涙ね。くじけそうになる涙。でも次の年、再び大自然の力で芽が出てきたときに、希望を取り戻してブドウ園をつくっていくんです。マータイさんと同じですね、失敗しても立ち上がる、というこの2つ。命に対する本当にピュアな感性、そこからすべてが始まるということと、挫折しても立ち上がるっていうこと。ドストエフスキーの言葉で「1人の子どもの涙は地球より重い」って言葉がありますけれど、本当にこういう涙を流した少年がもう一度立ち上がるっていう、その大切さっていうのをよく描いてるなと思うんです。
 
Ehon_30294.jpg 『やめて!』 (デイビッド・マクフェイル 作 徳間書店)

 それから、特殊な表現で言葉のない絵本『やめて!』。原書は『NO!』です。
 暴力なり嫌なことに対して「嫌だ」と言える。単に自分が身を引く「嫌だ」じゃなくて、はっきり「やめろ」という能動的な拒否、戦争や弾圧で委縮した国家に対して「やめて!」と言うこと、それが世界を変えるんだということ。それを非常にシンボリックに表現している。
 不良少年になぐられそうになった幼い少年が叫ぶ「やめて!」、その瞬間から世界が一変している。この不良少年も一瞬びっくりして殴れなくなっちゃう。秘密警察は穏やかな市民を守る立場に変わり、そして兵隊たちは弾圧じゃなくプレゼントを持ってくる。戦車は破壊ではなくて農耕の手助けをする。飛行機は爆弾じゃなくてプレゼントを落としていく。しかも、それが不良少年と二人仲良く一緒になって遊べるよう自転車で。そういうように世界が変わるっていうこと。そのためには、とにかく暴力、戦争をやめるという、その意思表示が大事なんだっていうメッセージを、これほど強烈なイメージで語った絵本はこれまでになかったんじゃないかと思う。

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ヤクーバとライオン(1)勇気』『ヤクーバとライオン(2)信頼

 これは一昨年になるけど、講談社から「ヤクーバとライオン(1)(2)」っていう2冊を訳しました。絵の構成として、モノクロで非常に空白の多いユニークな絵本ですね。
 これも、暴力に対してはっきりと拒否する。非常に大事なのは、意思表示の大切さ。手負い傷のライオンと向き合ったとき、「本当の人間の気高さって何か」「人間の精神性って何か」ていうことをライオンが語りかけてくる。そこで少年が気付いて、そのライオンの命を奪うことをやめる。つまり、自分の名誉のために相手を殺すというようなことをやめるっていう、暴力否定の表現。
 その背景には更に「本当の勇気ってなんだろうか。相手を倒すことだけ、それが勇気なのか。自分が強くなることだけが勇気なのか。本当の強さっていうのは、それは踏みとどまるところではないか」と、哲学的な問いをしてるんですね。
 その中の「おまえには2つの道がある。」という一文は、僕が付け足した言葉なんです。殺すことを勇気とする立場と、自分は村八分になっても殺さないという真の勇気と、これをはっきりと読者に分かってほしい。そのために、ここで文脈をいったん止めて、メッセージ性を強くしたんです。原書でもこのライオンの言葉だけのページをつくってるんですね、相当意図的に。それを生かす為にもこういう訳し方をしたんです。

 これね、僕は喜んでいいのか、小学校で道徳の時間でこれ使ってるそうなの。先生は道徳の時間はいい意味で使ってくれてるんだなっていうことで、僕は感謝してるんだけれど、それはそれでいいと思うんですよ。だから、道徳なり、あるいはいわゆる自由時間なり、そういうとこで使って。そうするとね、やっぱりいじめた側に入ってた子どもが気付くと思うんですよね。


―― 翻訳された絵本を並べてみると見えてくること。

 翻訳した絵本作品全体を通して、どうしてこういうものが僕の視野に入ってくるか。
 幼少期から少年期に至る中で、子どもはそれぞれ発達段階がある。最初は親離れ、乳離れをしていき始める。そして自分で歩き出す。その次には今度は知的興味、好奇心が出てくる。それに対してどういうふうに応えていくか。他者に対して優しさとか、思いやりの気持ちを持つとか、本当の勇気とはなんだろうか、とか。例えばいじめという問題が起こったときに、いじめるグループに入っていれば自分の身は守れるけれど、必ず犠牲になる者が居る。そのときに、自分はどっちに属するのかみたいな、そういうことを問い掛ける。暴力否定なり、他者を犠牲にして自分だけがっていうのを否定していく、そういうのは本当の意味で人格形成の一番大事なところに行くわけですよ。

 僕の翻訳した絵本を全部並べるとね、成長段階のステージにそれぞれ全部合うようになってるんです。文溪堂で出した『くもをおいかけてごらん、ピープー』なんてね、子どもが最初に地面に足を付けて歩き出すときを描いていて、それが象徴的に自立への第一歩。それに始まって今ね、訳した本が14冊になったかな。14冊並べると、全部こう一列に並ぶ。最後にはこの死別というものにどういうふうに向き合うかっていくかという『だいじょうぶだよ、ゾウさん』があるんですね。


―― 今後もピンっとくる絵本があれば?
はい、翻訳したいと思っています。今も色々とね、検討中です。

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■ その他柳田さんの幅広い絵本活動     


絵本の紹介や、絵本の翻訳の他にも、絵本普及活動の為に様々な活動をされている柳田さん。そのほんの一部をご紹介しますと・・・。

●『みんな、絵本から』
柳田さんが子どもの成育環境への危機感と共に、10年間取り組んできた絵本とメディアと子育ての問題についてのエッセンスをまとめた本がこちら。

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みんな、絵本から

子ども達の「ノーケイタイ、ノーゲーム、ノーテレビ」を呼びかけながら、一方で絵本「読み聞かせ」が子ども達の心の成長をいかに促してくれるかというのを
<絵本「読み聞かせ」のすごい力10か条>
と、明確にあげています。
子育てに悩んでいる方、共働きで一緒にいる時間が少ない母親にとっても、とても心強いメッセージとして受け取ることができるのです。

●「柳田邦男絵本大賞」
絵本の普及活動の為には、自治体や教育委員会や学校などにも具体的にどんどん働きかけていくという柳田さん。大きく反応してくれる所も少なくないそうです。
例えば、福島県の矢祭町という所では、町をあげて絵本キャンペーンというのをやっているのだそう。去年の12月には第1回矢祭町絵本大賞というのを作って全国から手作り絵本を募集、「子ども読書の街・ふるさと人づくり」という大会が開催されたのだそうです。「とても素晴らしい作品が集まったんですよ。」と嬉しそうに語られる柳田さん。表彰式にも出席されて、作品を読み上げたり、子ども達と語りあったりされたそうです。
更に、読書推進活動が盛んな荒川区でも「柳田邦男絵本大賞」なるものが創設され、柳田さん宛の手紙という形で絵本の感想文を全国から募集したそうです。「子ども達の感想文に感動しちゃいましたね。」と柳田さん。「今度は僕の希望でね、受賞した最優秀と優秀の子どもたちに壇上に上がってもらって、僕と対話をしようという、そういう場をつくることにしたんです。」と今後の展望も語ってくださいました。

●映画『かぜのかたち』
小児がんの子ども達のサマーキャンプの10年間の記録を撮った映画。伊勢真一監督。
自主映画で最初は一日だけのロードショーだったところを、細谷先生や柳田さんの働きかけもあって各地で上映されるようになったのだそう。


その他にも様々な取り組みに積極的に参加されていて、本当にパワーにあふれている柳田邦男さんなのです。
長い時間ありがとうございました!最後に記念に・・・


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<取材を終えて>
 本文では紹介しきれないほど、絵本と子ども達にまつわる沢山の興味深いお話を、熱く丁寧に沢山語ってくださいました。特に、ノンフィクション作家である柳田さんらしく、事例を沢山交えて話してくださり、その説得力にただただ頷いてしまう取材陣なのでした。
 私達にできることと言うと、その一つ一つの真摯なメッセージを真正面からきちっと受けとめていくという事なのかもしれません。

 でも・・・絵本の面白さについて語る時の、子ども達の素晴らしさについて語る時の、柳田さんの心底嬉しそうで優しい笑顔は私の心の中に大切にしまっておこうと思います。

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